野ざらし紀行|超現代語訳と解説

僕は、松尾芭蕉が嫌いだった…

現代語訳松尾芭蕉野ざらし紀行 僕は松尾芭蕉が嫌いだった。なんだか呪文のような文章を前にした時、これは異星人のカタリだと考えた。学校を卒業して、時間に余裕をもってその人を見るに、あの不可解な人物が神格化されていることに驚いた。そこで再び本を開き、ネットを操り、その文章を手繰っていくと、僕は、世評とは違うところに魅力を感じた。
 今ここに、僕の解釈した「野ざらし紀行」を展開する。旅人芭蕉の出発点となったこの旅にこそ、芭蕉の本質が隠されているような気がする。 Rockets

⇒ 全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」
⇒ 野ざらし紀行原文


▶ 超解芭蕉野ざらし紀行目次(対訳解説付)

第一回 芭蕉いきなり後悔
江戸を発つ~ 「野ざらしを心に風のしむ身哉」
第二回 強がりが得意な芭蕉すぐ拗ねる
箱根にて~ 「霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き」
第三回 薄情を持て余す芭蕉
冨士川にて~ 「猿を聞人捨子に秋の風いかに」
第四回 すぐあきらめる芭蕉
大井川にて~ 「道のべの木槿は馬にくはれけり」
第五回 夢見がちな芭蕉現実を知る
小夜の中山~ 「馬に寝て残夢月遠し茶の煙」
第六回 西行になれない芭蕉の性
伊勢神宮~ 「蘭の香や蝶の翅にたき物す」
第七回 芭蕉 薄情の実態
故郷伊賀上野~ 「手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜」
第八回 幻聴にモヤモヤする芭蕉
大和国葛下の郡竹の内~ 「わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく」
第九回 芭蕉 盆暗のすすめ
當麻寺にて~ 「僧朝顔幾死かへる法の松」
第十回 とんでもない要求をする芭蕉
吉野にて~ 「碪打て我にきかせよや坊が妻」
第十一回 芭蕉自らの意志の弱さに泣く
西行庵にて~ 「露とくとく心みに浮世すゝがばや」
第十二回 むかしの人に恋した芭蕉
常盤の塚にて~ 「秋風や藪も畠も不破の関」
第十三回 意志の弱い芭蕉の嘆きパート2
大垣にて~ 「しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮」
第十四回 芭蕉くじけて希望をつかむ
桑名にて~ 「明ぼのやしら魚しろきこと一寸」
第十五回 芭蕉 荒ぶる神に教わった極意
熱田神宮~ 「しのぶさへ枯て餅かふやどり哉」
第十六回 芭蕉 狂歌師に転身?
名古屋へ~ 「草枕犬も時雨るかよるのこゑ」
第十七回 婿殿にあこがれる芭蕉
故郷ふたたび~ 「誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年」
第十八回 自らに発破をかける芭蕉
奈良二月堂~ 句「水とりや氷の僧の沓の音」
第十九回 芭蕉やる気満々
京都へ~ 「我がきぬにふしみの桃の雫せよ」
第二十回 芭蕉 桜を見るたび思い出すあの人
水口にて~ 「命二つの中に生たる櫻哉」
第二十一回 泣き虫芭蕉再発
熱田にて~ 「梅こひて卯花拝むなみだ哉」
第二十二回 芭蕉 さらば悪癖
熱田の定宿~ 「牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉」
第二十三回 さて、芭蕉は最後の最後に何をしてしまったか?
芭蕉庵に帰り着く~ 「夏衣いまだ虱をとりつくさず」

野ざらし紀行の「濁子本」奥書に芭蕉は、「この一巻は必記行の式にもあらず、ただ山橋野店の風景、一念一動をしるすのみ。ここに中川氏濁子、丹青をして其形容を補しむ。他見恥もの也。たびねして我句をしれや秋の風」と記し、これは紀行文の体を成さない報告書だと述べている。しかし、それは謙遜に過ぎないだろう。これは明らかに、芭蕉が著した江戸時代の小説である。

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