僧朝顔幾死かへる法の松

【超現代語訳】

現代語訳松尾芭蕉野ざらし紀行 千里の実家の近くの二上山當麻寺に参拝して、古い松の大木を拝むと、荘子の一節が思い出された。つまり、伐採されずに生き残ったんは、盆暗じゃったからこそ。
「これぞ仏の導きというもんよ。平凡に徹するこの松は、刹那の栄華に生きた僧や朝顔をどれだけ見送ってきたんじゃろか…」
訳:Rockets

全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」

【野ざらし紀行原文】

ニ上山當麻寺に詣でゝ、庭上の松をみるに、凡千とせもへたるならむ。大イサ牛をかくす共云べけむ。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤の罪をまぬかれたるぞ、幸にしてたつとし。
 僧朝顔幾死かへる法の松

⇒ 野ざらし紀行の日程表と句

【解説】

千里の実家にほど近い當麻寺に参拝。松の大木を見て、ここまで成長できたのは仏縁(寺に植えられた縁)によるものだと解釈している。ここからしばらく、心の変化を求めて、神仏にすがりつこうとする旅が始まる。

ニ上山當麻寺
奈良県葛城市當麻にある真言宗・浄土宗二宗の寺院。「当麻曼荼羅」と、曼荼羅にまつわる中将姫伝説で知られる。
庭上の松
中之坊の前にあった中将姫のお手植えの「来迎松」。現在は株だけが残っている。
大イサ牛
「荘子」に「匠石脂齊、至乎曲轅、見櫟社樹、其大蔽數千牛、絜之百圍、其高臨山、十仞而後有枝、其可以爲舟者、旁十數、觀者如市、匠伯不輟。」(人間世)。数千頭の牛を覆い隠すほどの櫟の大木の周りには人だかりができていたが、大工の棟梁は(使えないことを悟り)見向きもせずに通り過ぎた。
斧斤の罪
「荘子」に「今、子有大樹、患其無用。何不樹之於無何有之鄕、廣莫之野、彷徨乎無為其側、逍遥乎寝臥其下。不夭斤芹、物無害者。無所可用、安所困苦哉。」(逍遥遊)。使い物にならない瘤だらけで曲がった木だからこそ、伐られることがなかったことを説いている。

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