我がきぬにふしみの桃の雫せよ

【超現代語訳】

現代語訳松尾芭蕉野ざらし紀行 旧知の俳諧仲間の窮地に触れて、まずは京都の鳴瀧に三井秋風を訪ねたんじゃ。秋風は富豪の家の生まれじゃが、このところ金づるを失ってしもたんじゃと。そこで、
「梅の花は、一緒に描かれる鶴がおらんでも、白く気高く咲くんやで」
と教えてやった。さらに、樫の木に咲く花を引き合いに出して、
「手堅い人間になんぞ、風流が理解できるはずもなかろう」
と慰めてやった。
 次は、病床の任口上人を伏見の西岸寺に見舞って、
「私があとのことはやりとげますけん、この衣に思う存分涙を零して下され」
と言うて、ワシも気を引き締めたんよ。
訳:Rockets

全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」

【野ざらし紀行原文】

京にのぼりて、三井秋風が鳴瀧の山家をとふ。
梅林
 梅白し昨日ふや鶴を盗れし
 樫の木の花にかまはぬ姿かな
伏見西岸寺任口上人に逢て
 我がきぬにふしみの桃の雫せよ

⇒ 野ざらし紀行の日程表と句

【解説】

知人を積極的に訪ねる意欲が湧いて、その句にも勢いが出てきたように感じる。周囲に押しつぶされそうな前半部分との違いを出すために、ちょっと上から目線の芭蕉を演出してみた。

三井秋風
釘抜三井家の富豪・三井六右衛門時治。京都鳴滝に花林園を構えて、放蕩三昧の生活を送り、財を食いつぶしたとされる。俳諧では高瀬梅盛を師とし、談林派に移って西山宗因の指導を仰ぐ。芭蕉の師である北村季吟とも交流があり、芭蕉とも面識があったのであろう。芭蕉より2つ年下である。
梅白し昨日ふや鶴を盗れし
鶴を飼い梅を植えてそれを愛で、世俗を断って詩に生きた人物に北宋の隠士林和靖がいる。林和靖を偲んでの句とも言われる。
樫の木の花にかまはぬ姿かな
「誹諧吐綬鶏」(三井秋風1690年)の前書に「秋風の山家にまかりて」。
伏見西岸寺任口上人
油懸地蔵と呼ばれる伏見西岸寺の三世住職。松江重頼門下の俳人で、談林の長老として慕われた。芭蕉が訪問した時、任口上人は80歳。翌年4月13日に亡くなった。

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