中世ヨーロッパのある村では、結婚を控えた若い男女に、年老いたパン職人が一つの丸いパンを手渡す習わしがあったと伝えられています。そのパンには、粉と水だけではなく、香り高いコリアンダーの種が練り込まれていました。
当時、コリアンダーは単なる香辛料ではありませんでした。古代から「愛を呼ぶ植物」として知られ、遠く古代エジプトやギリシャ、ローマでも恋愛や豊穣の象徴として大切にされてきた植物です。そのため、人々はその香りには二人の心を結び付ける不思議な力が宿っていると信じていました。
結婚式の前夜、二人はそのパンを向かい合って半分に割り、一切れずつ口にします。そして最後の一片だけは、どちらも食べません。布に包み、暖炉の上や寝室の棚へと大切にしまっておくのです。
「もし二人が争う日が来たなら、このパンをもう一度分け合いなさい。」
それが村に伝わる古い教えでした。
パンは固くなり、香りも昔ほど強くはありません。それでも、かすかに残るコリアンダーの香りを口にすると、結婚式の前夜、互いを見つめ合いながら未来を語り合った時間が思い出されました。若かった日の希望や、不安を抱えながらも「共に生きよう」と誓った瞬間が、香りによって鮮やかによみがえったのです。
現代では、この話を裏付ける歴史資料はほとんど残されていません。おそらく一つの実話ではなく、各地に伝わる恋愛の風習や民間信仰が長い年月の中で一つの物語へと形を変えていったのでしょう。しかし、コリアンダーが愛情や夫婦円満を象徴する植物として扱われていたことは、多くのハーブ文献や民間伝承に見ることができます。
香りは目には見えません。しかし、一瞬にして記憶を呼び覚まし、人の心を過去へと運ぶ力があります。だからこそ昔の人々は、コリアンダーを練り込んだパンを「愛を忘れないための魔術」と考えたのかもしれません。
永遠の愛を約束したのは、コリアンダーそのものではありません。その香りが、二人の初心を何度でも思い出させる――そこに、この素朴で美しい言い伝えが何世紀にもわたって語り継がれてきた理由があるのでしょう。
▶ コリアンダーの魔術的利用
