止まった時計と秋の香り

ジュニパーの秘術十月の終わり、アルプスの山裾にある小さな村のおはなし。村の広場には古い時計塔がありましたが、時計は止まったままでした。

その年の秋、村にひとりの旅人が現れました。旅人は森で採ったジュニパーの実を革袋に詰め、時計塔の前に立つと、奇妙なことを尋ねました。
「この村では、過ぎ去った時間を取り戻そうとしているのですか?」
村人たちは笑いました。しかし、工房の窓からそれを聞いていた時計職人マティアスだけは、顔色を変えました。

十年前、彼の兄は時計塔の修理を依頼された帰り道に、秋の嵐に巻き込まれて命を落としました。代わりの修理依頼は彼のところに回ってきましたが、その時計を動かすことは、兄のいない時間を認めることのように思えました。
マティアスは故障した歯車をそのままにし、時計塔を訪れることさえ避けてきました。

その晩、旅人はマティアスの工房を訪れました。二人は炉辺に座り、乾燥したジュニパーの枝を火にくべました。針葉樹の清冽な香りは、古い木材と金属の匂いに満ちた工房へと広がります。
「ジュニパーは、冬を追い払う木ではありません。」
旅人は、黒青い実を指先で転がしながら言いました。
「寒さのなかでも緑を失わず、季節が巡るのを待つ木です。過ぎた時間を取り戻すことはできなくても、次の季節を迎えることはできます。」

マティアスは、兄が残した図面を取り出しました。翌朝、彼は十年ぶりに時計塔へ足を向け、錆びついた歯車をひとつずつ調べ始めました。三日後、止まっていた時計は動き出し、秋の澄んだ空に鐘の音が響きました。

旅人は、いつの間にか村から姿を消していました。工房に残されていたのは、ジュニパーの実と、小さな紙片だけ。

『浄化とは、過去を消すことではない。過去に閉ざされた心に、新しい風を通すことである。』

ジュニパーは、ヨーロッパの民間伝承において、魔除けや浄化、保護と結びつけられてきた植物です。香りの魔術において、ジュニパーが象徴するのは、失ったものを取り戻す奇跡ではありません。失ったものを抱えたまま、再び歩き始めるための力です。
秋の森では、ジュニパーがゆっくりと熟していきます。過ぎ去った季節は戻りません。しかし、季節が廻ればまた、そこには果実が現れるのです。


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舞香亭幻想香炉
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