蘭の香や蝶の翅にたき物す

【超現代語訳】

現代語訳松尾芭蕉野ざらし紀行 伊勢の知り合いを訪ねて、十日ばかり居座った。ただ、丸めた頭が僧侶の類じゃと言われて、神宮の参拝が許されんかった。それで、灯籠に火が灯る頃に、闇に紛れて外宮に行ったんじゃ。いざ、西行が歌った神聖な風にあたってみると、
「暗い月末をいいことに、古杉と嵐が交わってやがる」
と、心に潜む悪い奴が叫ぶがな。
 西行谷を下ったところまで来ると、芋男の相手をしよる女たちが居る。
「西行ならば、歌をうたってやり過ごしただろうに…」
 そう思ったんじゃが、堪らずそこに立ち寄った。すると、蝶という名の女がおって、下着にしとった絹をよこす。そこで、
「蝶の可憐に舞う姿を見て、この蘭はモヤモヤしてしもた」
と書いてやったんよ。
 そんなことには興味ない男の家に着くと、奴は、嫁さんに四、五人の男を充てがって隠居しとった。そこでこう詠んだんよ。
「蔦植て竹四五本のあらし哉」
訳:Rockets

全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」

【野ざらし紀行原文】

松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。腰間に寸鉄をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有。俗ににて髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。
暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほのくらく、御燈処ゝに見えて、また上もなき峯の松風、身にしむ計、ふかき心を起して、
 みそか月なし千とせの杉を抱くあらし
西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、
 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと云けるをんな、あが名に発句せよと云て、白ききぬ出しけるに書付侍る。
 蘭の香や蝶の翅にたき物す
閑人の茅舎をとひて
 蔦植て竹四五本のあらし哉

⇒ 野ざらし紀行の日程表と句

【解説】

遊女との絡みを描くと反発もあるだろうが、当時の伊勢詣の裏目的を考え合わせると、この箇所はどうしてもこのように読めてしまう。「野ざらし紀行」の流れからいっても、違和感はない。ストーリーを重視した創作とも考えられるが、このように捉えて、心境の変化を追いながら全編を読むと、「野ざらし紀行」の面白さが際立つように思う。

松葉屋風瀑
伊勢度会の門人で、垂虹堂とも号す。
腰間に寸鉄をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。
腰には匕首(あいくち)などの刀を差さず、襟には頭陀袋を下げて、手には数珠を持つ。
浮屠
梵語の「仏陀」の音訳。僧侶のことである。
一ノ華表
一の鳥居。
また上もなき峯の松風
西行法師「深くいりて神路の奥をたづぬればまた上もなき峯の松風」(山家集)。
みそか月なし千とせの杉を抱くあらし
真蹟懐紙の詞書に、「西行の泪の跡を尋て、一ノ華表より岩戸詣る比、日暮て道くらし」とある。
芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
雨のため、西行法師が「世中をいとふまでこそかたからめ仮のやどりを惜む君かな」と歌って、宿を借りるために遊女に歌い掛けたことを下地にしている。西行は、出家者を泊めても金にならないから断られたと考えていたが、遊女は「家を出る人とし見れば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と返して、むしろ西行の執着を指摘した。
蘭の香や蝶の翅にたき物す
西山宗因は、伊勢神宮の参拝の途中で立ち寄った茶店の「つる」に句を求められ、「葛の葉のおつるのうらみ夜の霜」と詠んだとされ、芭蕉はそれに倣ったという。そのことが、真蹟句切に「過し比、難波津の翁此処に立寄て、真葛の一葉に老の恨を残す筆の、露とふり雪と消て、又生替る秋草、花にねぶれる蝶の俤、夢に会つて、蘭の香や蝶の翅にたき物す」と記されている。
閑人の茅舎
廬牧亭。
蔦植て竹四五本のあらし哉
「蟹守紀行書留」の詞書に、「杉本氏正英は好士利休のふる道に遊びて、竹の庵あはれに住なし、みたりよたり膝入ぬべくおぼゆ。庭もいとものふり、石あらあらしくすへて、ささやかなる草木揃ひたる中に、ただ竹に蔦のかかりたるぞ目にとまりける」。

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