【超現代語訳】
富士川のほとりに来ると、捨て子が悲しい声で泣いとった。急流に投げ込むよりはと、親は露の命を与えたんじゃろうが、ワシは行く末を案じながらも、物を投げ与えてやることしかしてやれん。
「哭き喚く猿と思えば済むもんかのう。おまえはどう思うぞ?」
問うても風は過ぎ行くばかり。
小僧よ、父も母も恨むじゃないぞ。これが天命、己の運命と嘆け。
訳:Rockets
全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」
【野ざらし紀行原文】
富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の哀気に泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計の命待まと捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、
猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝ちゝに憎まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。
⇒ 野ざらし紀行の日程表と句
【解説】
芭蕉いきなりの試練。捨て子を前に、大いに悩む。ただし、紀行文を飾り立てるための作り話との説もある箇所。紀行文はあくまで日記ではなく、ストーリーがあるもの。この「野ざらし紀行」も、推敲を重ねた末にまとまったもので、芭蕉の世界を表現する「創作物」でこそある。
この川の早瀬にかけて
「東関紀行」(源親行?鎌倉時代)に天竜川を歌った「此河のはやき流れも世中の人の心のたぐひとぞ見る」がある。
小萩がもとの秋の風
源氏物語の桐壺に、「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」。最後まで見届けることのできない幼子の身を案じている。
猿を聞人
杜甫の秋興詩に「聴猿実下三声涙」。泣き声の悲しさを強調する箇所であるが、「超解~」では第三者的な視点で捉えてみた。