【超現代語訳】
大津に出るための峠を越えると、
「険しい道にも菫が咲いて、何か懐かしい気持ちになるもんじゃの」
と、はな歌よ。やがて琵琶湖を前に気付いたんじゃ。
「唐崎の松は長生なればこそ、散り行く花よりもぼやけとんのじゃ。」
そして水口宿に到って、二十年来の友と昔を懐かしみながら、
「ワシら二人の中に、あの時の桜ははっきりと生きとるんぞ」
と詠んだんよ。
訳:Rockets
全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」
【野ざらし紀行原文】
大津に出る道、山路をこえて
山路来て何やらゆかしすみれ草
湖水の眺望
辛崎の松は花より朧にて
水口にて二十年を経て故人に逢ふ
命二つの中に生たる櫻哉
⇒ 野ざらし紀行の日程表と句
【解説】
「二十年を経て故人に逢ふ」との前書きから、芭蕉の詠んだ桜の名句「さまざまのこと思い出す桜かな」を思い浮かべながら訳してみた。
山路来て何やらゆかしすみれ草
「熱田皺筥物語」(扇川堂東藤1696年)に、「白鳥山」の前書きで、「何とはなしになにやら床し菫草」とある。「三冊子」などにも「何とはなし」で載り、これが初案か。貞享2年(1685年)5月12日付の千那宛の書簡には「山路来て何やらゆかしすみれ草」。「去来抄」(向井去来)に、山路と菫の取り合わせに対する論議があったことが記されていることでも有名。
辛崎の松は花より朧にて
「辛崎の松」は唐崎神社にある松で、「唐崎の夜雨」で知られる。この句は、大津の本福寺別院(千那亭)での吟。「鎌倉海道」(田中千梅1725年)では、「辛崎の松は花より朧にて」の脇に千那が「山はさくらをしほる春雨」と付ける。「くだみぐさ」(横井也有)に、初案は「辛崎の松や小町の身のおぼろ」とも。去来抄に「にて」留めの議論があり、そこで芭蕉は、「理屈よりも、花よりも松が朧に見えた感動を表現したかっただけだ」と言っている。
水口
現在の滋賀県甲賀市水口町にあった東海道の宿場町。
故人
通説では、旧友を指すとされ、この時に会った「三冊子」を遺した服部土芳のことだとされる。
命二つの中に生たる櫻哉
3年後の1688年に故郷の伊賀に帰って詠まれた「さまざまのこと思い出す桜かな」とイメージが重なる。ともに仕え、約20年前に亡くなった藤堂良忠との日々が思い出されたのではなかろうか。