草枕犬も時雨るかよるのこゑ

【超現代語訳】

現代語訳松尾芭蕉野ざらし紀行 名古屋に入る道でふと思た。
「西行の道を志したが、ワシは今、オンボロ竹斎の道をたどっとる。」
すると何だか吹っ切れて、
「旅の空にあっては、夜の声を恐れて犬でも泣くもんぞ」
と、何もかも同類に思えてきたわい。
 雪を見に出歩くと、旅のことなどどうでも良うなって、
「町の衆、この笠いらんかね?旅先で雪が降っても安心じゃ」
と、必需品で商売よ。けれども足留された旅人を見るに、
「雪の朝というもんは、馬でも立往生するもんじゃからな」
と、何もないまま夜を迎えて、海辺に佇みこう詠んだ。
「凍り付く夜の海に温もりを見た。鴨のガヤガヤ言う声が、蒸気となって道を照らすがや。」
訳:Rockets

全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」

【野ざらし紀行原文】

名護屋に入道の程風吟ス。
 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
 草枕犬も時雨るかよるのこゑ
雪見にありきて
 市人よ此笠うらふ雪の傘
旅人をみる
 馬をさへながむる雪の朝哉
海辺に日暮して
 海くれて鴨のこゑほのかに白し

⇒ 野ざらし紀行の日程表と句

【解説】

「超解芭蕉野ざらし紀行」をまとめるに当たって、最も難しかったのが「草枕犬も時雨るかよるのこゑ」のとらえ方である。ストーリー性や心の流れを重視して見ていくと、どうしても前後とのバランスが取れないように思えてしまうのだ。それでもこの句を採用したということは、何か重要な意味が隠されているのだろう。ここでは、「一般人」に目覚めた芭蕉の、「特別」を求める気持ちを捨て去った宣言だと考えてみた。

狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
「冬の日」(山本荷兮1685年)の冒頭の発句となっている。「冬の日」は、野ざらし紀行の成果が如実に表れた俳諧撰集で、俳諧七部集の第一集となっている。「狂句こがらしの」の詞書に「笠は長途の雨にほころび、帋子はとまりとまりのあらしにもめたり。侘びつくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才士、此国にたどりし事を、不図おもひ出て申し侍る。」
竹斎
仮名草子「竹斎」の主人公で藪医者。貧乏暮らしに見切りをつけて、京都から名古屋に出て、その後、ボロボロになりながらも江戸に下る話。処々で狂歌が歌われ、竹斎の破天荒ぶりが強調される。
市人よ此笠うらふ雪の傘
「笈日記」(各務支考1695年)に、「抱月亭」の前書きで「市人にいで是うらん笠の雪」。抱月が「酒の戸をたゝく鞭の枯梅」と付けている。抱月亭での雪見の句。
馬をさへながむる雪の朝哉
「熱田皺筥物語」(扇川堂東藤1696年)に、「旅亭桐葉の主心ざしあさからざりければしばらくとゞまらせむとせしほどに
 此海に草鞋すてん笠しぐれ(芭蕉翁)
 むくも侘しき波のから蠣(桐葉)
 凩に冬瓜ふらりとふらつきて(東藤)
三吟一巻満しぬ次の日
 馬をさへ詠むる雪の朝かな(翁)
 木の葉に炭を吹おこす鉢(閑水)
 はたはたと機織音の名乗きて(東藤)」とある。
海くれて鴨のこゑほのかに白し
「熱田皺筥物語」に、「尾張の国あつたにまかりける比、人々師走の海みんとて舟さしけるに」の前書きがある。

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