野ざらし紀行原文

野ざらし紀行|1685年(貞享2年)成立 1768年(明和5年)刊行

千里に旅立て、路粮をつゝまず、三更月下無何に入と云けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月江上の破屋をいづる程、風の聲そゞろ寒気也。
 野ざらしを心に風のしむ身哉
 秋十とせ却て江戸を指す故郷

関こゆる日は雨降て、山皆雲にかくれたり。
 霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き
何某ちりと云けるは、此たびみちのたすけとなりて、萬いたはり心をつくし侍る。常に莫逆の交ふかく、朋友信有哉此人。
 深川や芭蕉を富士に預行 ちり

富士川のほとりを行に、三つ計なる捨子の哀気に泣有。この川の早瀬にかけてうき世の波をしのぐにたえず。露計の命待まと捨置けむ、小萩がもとの秋の風、こよひやちるらん、あすやしほれんと、袂より喰物なげてとをるに、
 猿を聞人捨子に秋の風いかに
いかにぞや、汝ちゝに憎まれたるか、母にうとまれたるか。ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。

大井川越る日は、終日雨降ければ、
 秋の日の雨江戸に指おらん大井川 ちり
馬上吟
 道のべの木槿は馬にくはれけり

二十日余の月かすかに見えて、山の根際いとくらきに、馬上に鞭をたれて、数理いまだ鶏鳴ならず。杜牧が早行の残夢、小夜の中山に至りて忽驚く。
 馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり

松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。腰間に寸鉄をおびず。襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有。俗ににて髪なし。我僧にあらずといへども、浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず。
暮て外宮に詣侍りけるに、一ノ華表の陰ほのくらく、御燈処ゝに見えて、また上もなき峯の松風、身にしむ計、ふかき心を起して、
 みそか月なし千とせの杉を抱くあらし

西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、
 芋洗ふ女西行ならば歌よまむ
其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと云けるをんな、あが名に発句せよと云て、白ききぬ出しけるに書付侍る。
 蘭の香や蝶の翅にたき物す
閑人の茅舎をとひて
 蔦植て竹四五本のあらし哉

長月の初、古郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢白く眉皺寄て、只命有てとのみ云て言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、母の白髪おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝がまゆもやゝ老たりと、しばらくなきて、
 手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜

大和の国に行脚して、葛下の郡竹の内と云処は彼ちりが旧里なれば、日ごろとゞまりて足を休む。
 わた弓や琵琶になぐさむ竹のおく

ニ上山當麻寺に詣でゝ、庭上の松をみるに、凡千とせもへたるならむ。大イサ牛をかくす共云べけむ。かれ非情といへども、仏縁にひかれて、斧斤の罪をまぬかれたるぞ、幸にしてたつとし。
 僧朝顔幾死かへる法の松

独よし野ゝおくにたどりけるに、まことに山ふかく、白雲峯に重り、烟雨谷を埋ンで、山賤の家処ゝにちいさく、西に木を伐る音東にひゞき、院ゝの鐘の聲は心の底にこたふ。むかしよりこの山に入て世を忘たる人の、おほくは詩にのがれ、歌にかくる。いでや、唐土の廬山といはむもまたむべならずや。
ある坊に一夜をかりて
 碪打て我にきかせよや坊が妻

西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方ニ町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のみわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくとくの清水は昔にかはらずとみえて、今もとくとくと雫落ける。
 露とくとく心みに浮世すゝがばや
若これ扶桑に伯夷あらば、必口をすゝがん。もし是許由に告ば耳をあらはむ。

山を昇り坂を下るに、秋の日既斜になれば、名ある所ゝみ残して、先後醍醐帝の御廟を拝む。
 御廟年経て忍は何をしのぶ草

やまとより山城を経て、近江路に入て美濃に至る。います・山中を過て、いにしへの常盤の塚有。伊勢の守武が云ける、よし朝殿に似たる秋風とは、いづれの所か似たりけん。我も又、
 義朝の心に似たり秋の風
不破
 秋風や藪も畠も不破の関

大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出る時、野ざらしを心におもひて旅立ければ、
 しにもせぬ旅寝の果よ秋の暮

桑名本當寺にて
 冬牡丹千鳥よ雪のほとゝぎす
草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに浜のかたに出て、
 明ぼのやしら魚しろきこと一寸

熱田に詣
社頭大イニ破れ、築地はたふれて草村にかくる。かしこに縄をはりて小社の跡をしるし、爰に石をすえて其神と名のる。よもぎ、しのぶ、こゝろのまゝに生たるぞ、中ゝにめでたきよりも心とゞまりける。
 しのぶさへ枯て餅かふやどり哉

名護屋に入道の程風吟ス。
 狂句木枯の身は竹斎に似たる哉
 草枕犬も時雨るかよるのこゑ
雪見にありきて
 市人よ此笠うらふ雪の傘
旅人をみる
 馬をさへながむる雪の朝哉
海辺に日暮して
 海くれて鴨のこゑほのかに白し

爰に草鞋をとき、かしこに杖を捨て、旅寝ながらに年の暮ければ、
 年暮ぬ笠きて草鞋はきながら
といひいひも、山家に年を越て、
 誰が聟ぞ歯朶に餅おふうしの年

奈良に出る道のほど
 春なれや名もなき山の薄霞
二月堂に籠りて
 水とりや氷の僧の沓の音

京にのぼりて、三井秋風が鳴瀧の山家をとふ。
梅林
 梅白し昨日ふや鶴を盗れし
 樫の木の花にかまはぬ姿かな
伏見西岸寺任口上人に逢て
 我がきぬにふしみの桃の雫せよ

大津に出る道、山路をこえて
 山路来て何やらゆかしすみれ草
湖水の眺望
 辛崎の松は花より朧にて
水口にて二十年を経て故人に逢ふ
 命二つの中に生たる櫻哉

伊豆の国蛭が小嶋の桑門、これも去年の秋より行脚しけるに我が名を聞て草の枕の道づれにもと、尾張の国まで跡をしたひ来たりければ、
 いざともに穂麦喰はん草枕
此僧予に告ていはく、円覚寺の大顛和尚今年睦月の初、遷化し玉ふよし。まことや夢の心地せらるゝに、先道より其角が許へ申遣しける。
 梅こひて卯花拝むなみだ哉

杜國におくる
 白げしにはねもぐ蝶の形見哉
ニたび桐葉子がもとに有て、今や東に下らんとするに、
 牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉

甲斐の国山中に立よりて、
 行駒の麦に慰むやどり哉
卯月の末、庵に帰りて旅のつかれをはらすほどに、
 夏衣いまだ虱をとりつくさず

⇒ 全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」