【超現代語訳】
山を登って坂を下ると、秋の日が既に傾いとった。仕方ないから、数々の名所を差し置いて、後醍醐天皇陵だけを拝んでこう詠んだ。
「時を経て生じた忍草よ、墓に絡みついて何を隠しとんじゃ?」
大和から山城国を経て、近江路をたどって美濃に入った。今須宿から山中を過ぎたところにあった常磐御前の墓を見ると、その夫の源義朝のことが頭から離れんなって、荒木田守武が「秋風は義朝に似ている」と歌ったことが思い出された。
一体どこが似とると言うんじゃろうかの。移り変わりやすいところが似とると言うんじゃったら寂しいの。
「義朝の心に似たり秋の風」
いずれにせよ、義朝が越せんかったこの不破の地に、常磐御前は眠っとる。
「秋風よ、ここじゃ藪も畑もむかしのままじゃ。」
訳:Rockets
全文超現代語訳「超解芭蕉野ざらし紀行」
【野ざらし紀行原文】
山を昇り坂を下るに、秋の日既斜になれば、名ある所ゝみ残して、先後醍醐帝の御廟を拝む。
御廟年経て忍は何をしのぶ草
やまとより山城を経て、近江路に入て美濃に至る。います・山中を過て、いにしへの常盤の塚有。伊勢の守武が云ける、よし朝殿に似たる秋風とは、いづれの所か似たりけん。我も又、
義朝の心に似たり秋の風
不破
秋風や藪も畠も不破の関
⇒ 野ざらし紀行の日程表と句
【解説】
隠者への思いは挫折し、歴史に思いを馳せる箇所。それは、現実を受け入れつつ生きていかなければならないと悟ったところでもあった。そうなると遺物に関心が向き、おそらく芭蕉も、「自分が遺せるものは何だろうか?」などと考えただろう。
常盤の塚
源義朝の側室で、源義経の母である常磐御前の墓。その最後は不明であり、全国各地に墓が遺されている。岐阜県関ケ原町の伝承によると、成長した義経を追って奥州に向かう途中のここ山中で、盗賊に遭って殺害されたという。
伊勢の守武
戦国時代の伊勢神宮祠官であり、俳諧の祖のひとりとされる荒木田守武。
よし朝殿に似たる秋風
「誹諧之連歌独吟千句」に「月みてやときはの里へかかるらんよしとも殿に似たる秋かぜ」。
不破
古代東山道の関所の一つである「不破の関」。現在の岐阜県不破郡関ケ原町に址がある。奈良時代に廃止され、荒れ果てていた。義朝は、東国に逃走する際には通るのを避けたという。
秋風や藪も畠も不破の関
藤原良経に「人すまぬ不破の関屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風」(新古今和歌集)。