国を背負って虫が飛ぶ

 日本では32000種類以上の昆虫が確認されている。豊かな昆虫相を持つ国土から、この国を代表する昆虫をひとつだけ挙げよと言われたなら、おそらくは、武士をイメージさせるカブトムシや、国蝶となっているオオムラサキを採るだろう。しかしそれは、この国の名を負う昆虫の中から選ばれるべきである。

 古事記の雄略天皇条に、天皇の腕に噛みついた虻を、蜻蛉がつかまえて飛び去ったという話が載る。それに感じ入り、「倭(やまと)の国」を「蜻蛉島(あきづしま)」と呼ぶようにしたという。(*1)
 さらに遡れば、日本書紀の神武天皇条に、山の上から国の形を見たという話が出る。それが「蜻蛉(あきづ)の臀呫(となめ*2)」のようだったことから、この国を秋津洲(あきづしま)と号したとする。
 ただし神代の国生みには、本州にすでに「大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま*3)」の名が与えられている。


 ここに言う「あきづ」とは、蜻蛉の古い呼び名である。現在使われている「とんぼ」は「飛ぶ棒」の転訛であるとされ、「棒」という漢語の流入とともに、「あきづ」を駆逐するように畿内から広まっていった(*4)。

 さて、国土の古名に蜻蛉が関わっていることについて触れてきたが、「蜻蛉(あきづ)」の語源はどこにあるのだろうか?これに関しては、「秋出(あきいず)」、つまり秋に出る虫とする説が有力である。
 もっとも、蜻蛉の出現期間は3月から11月(*5)。それなのに秋に結び付けられるのは、稲作を中心に据えた古代の暮らしに因るところが大きい。

 アキアカネという蜻蛉がいる。この蜻蛉は6月頃に平地で羽化するが、羽化してすぐに深い山へと消えていく。そして秋になると、避暑を終えた個体が大挙して田圃に引き返し、繁殖活動を行うのだ。
 稲刈りが終わった田圃は、アキアカネの楽園である。あちらこちらで尾つながりして、秋雨が残していった水たまりに尻を打ちつける。これこそが、秋の季語となった「蜻蛉」の景色であり、むかし「あきづ」と呼ばれた、豊穣の秋を知らせる光景なのである。

 このように考えると、我が国を代表する昆虫はアキアカネであり、「蜻蛉」である。そして、豊穣の象徴が国名となるのは、もっともなことだと思える。しかし記紀を捲り返せば、ひとつの問題を解決しておかなければならない。蜻蛉の出現箇所より早くに、「秋津島」の名が出現すること。

 おそらく、蜻蛉の「あきづ」と、国名の「あきづ」の語源は別物である。当初は「あきつ」と呼ばれた国名と、「あきづ」と呼ばれていた蜻蛉が、発音の近さゆえに結び付けられたものだろう。
 詳しく見ていくと、雄略天皇条の「あきづ」の「づ」には「豆」が使われている(*6)。国名には「秋津」の字が当てられるから、本来は「あきつ」と読んだのだろう。つまり「秋津」は「飽津」であり、「充足の交易地点」を意味する。


 時は経過し、今では資料が少なく、断定するには至らない。しかし、かすかな記憶が言霊の中に取り込まれ、歌えば優しく響き合う。よぎる羽音の随に。

 沈黙や さざ波立てる風九月 


*1)日本書紀では、雄略天皇四年(西暦460年)秋八月二十日の話であるとされている。吉野宮のあたりでの出来事である。吉野で虻を捕食したところから考えるに、おそらくオニヤンマだったのだろう。

*2)「蜻蛉の臀呫」とは、トンボの尾つながりのことである。日本書紀に、神武天皇三十一年(紀元前630年)夏四月一日とある。

*3)日本書紀では「豊秋津洲」とも。

*4)古名に「艶羽(ゑんば)」があったとされ、現在でも「えんば」と呼ぶ地方がある。「とんぼ」は「飛ぶ羽」の転訛との説もある。「あきづ」の名残は、東北地方や奄美あたりに「あけづ」などの方言として見られる。

*5)沖縄では年中活動する蜻蛉もいるが、本土ではムカシトンボが最も早く、3月頃に出現する。黄昏飛翔が見られるヤンマ科の蜻蛉は、夏の盛りの7月頃が活動のピークとなる。

*6)古事記「阿岐豆」日本書紀「阿岐豆」「阿枳豆」。日本書紀の神武天皇条では「秋津」。


俳句の季節

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