大和撫子の季節

 風にそよぐ撫子。万葉集に山上憶良が「秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝顔の花」と歌って秋の七草のひとつとなったが、そのままストレートに秋の季語になったわけではない。
 別名に「常夏」。歳時記を捲ると、同じ花でありながらも「常夏」として夏の季語に、「撫子」として秋の季語に分類しているものが多い。また、「山之井」(北村季吟1647年)などの伝統を受け継いで、現代でも「撫子」として夏に分類する歳時記が残ってもいる。

 撫子の花期は長い。4月から10月までの、暑さを感じられる期間咲き続ける。川風に涼みながら堤防を歩くと、大和撫子とも呼ばれるカワラナデシコが、あちらこちらで揺れている。むかし歌人は「撫でし子」に掛けて、そこに愛おしさを詠み込んだ。
 現代では「大和撫子」を日本女性の美称とするが、この花は、歴史の風に弄ばれてもきた。


 「大和撫子」と呼ばれるようになったのは、古今和歌集(905年)の時代。当時、中国から石竹が渡来し、在来の撫子に似ていたことから「唐撫子」と呼ばれるようになった。そこから、識別のために「大和撫子」の名が生まれたのである。
 時代は下って明治に入ると、日本男児に対応させるように、民族の誉として「大和撫子」を取り上げ、国威宣揚のために使われるようになった。1881年には、小学唱歌集に「大和撫子」のタイトルが加えられ、1894年に発表された「婦人従軍歌」のイメージと結びついた。それが、後に「愛の赤十字」に歌われるような形で固定されていくのである。

 しかし、この花にそのような勇ましさはない。優しく揺れる野に立つと、「撫」にこそ本意があり、「常夏」も「とこ撫で」の転訛のような気がしてくるのだ。
 そう思うと、「撫(なづ)」こそがこの花の本来の名前なのではないかと思えてくる。夏に生まれた可憐な花は、炎帝をなだめ、手なずける任を負っているのではないかと。
 ただ、いかなる形で利用されようとも、大和撫子は、野にあって優しく揺れているだけ。夏の欠片が消え去るまで…

 のこり火や撫子なでしこの岸辺 


 むかし、尿意をもよおして入った叢で、妙な感触を味わった。今思えば、そこにあった花はきっとこの花。赤い花弁が「尿(しと)」を撫で、そして体の「底(床)」をくすぐるのだ。
 しかしその花は、汚れながらも陽光にキラキラと輝き、風に涼やかにそよいでいた。全ての事象を楽しむかのように。


◆ 万葉集には撫子を夏に分類する和歌もあり、当時、秋の景物として定まっていたわけではない。

◆ 古今和歌集に「寛平御時きさいの宮の歌合のうた」として、素性法師の「我のみやあはれとおもはむきりぎりす なくゆふかげのやまとなでしこ」などがある。

◆ 小学唱歌集「大和撫子」作詞者不詳「一、やまとなでしこ さまざまに おのがむきむき さきぬとも おほしたてゝし ちゝはゝの 庭のをしへに たがふなよ 二、野辺の千草の いろいろに おのがさまざま さきぬとも 生したてゝし あめつちの つゆのめぐみを わするなよ」

◆ 「愛の赤十字」作詞:島田磐也、作曲:相馬喜久雄(1937年)

◆ 撫子の語源は、その可憐な花を童子に見立て、「撫でし子」と呼んだという説が有力とされる。しかしそれは、和歌に詠み込まれる中で、掛詞として現れてきたものではなかろうか。


俳句の季節

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