福寿草には毒がある。全草に心臓麻痺を引き起こす毒を有し、死亡例も報告されている。厄介なのは誤食で、出現時期が重なる蕗の薹と似ていることから、時々事故が発生する。ただし、「福寿草」は新春の季語になるのに対し、「蕗の薹」は初春の季語となる。つまり福寿草は、正月に相応しいその名のために、新春の植物として生きているのだ(*1)。
さて、この毒草に与えられた目出度い名の由来は、その年一番に咲くところにある。「福告ぐ草」と呼ばれていたものが、「ふくじゅそう」に転訛したものである。その「福寿」とは、仏教用語の「福聚海無量」から来ており、観音の福徳を指す。つまり福寿草は、仏の慈愛を背負って芽吹く。そして、有毒ながらも生薬となって、人を救い出す有用植物となったのだ。
さらに、江戸時代には福寿草を贈り合う習慣もできた。相手への思いをその名に託し、正月には鉢植えを交換することが盛んになった。元禄の世になると多くの園芸品種が生まれて栽培ブームとなり、とんでもない値で取引されるようにもなったという。現代の金額に換算すれば、一鉢数十万円!!
今日では、花屋の店頭で数千円。割安感はあるものの、明治の改暦を経た正月に、その姿は見えない。と言っても、もともと2月頃から花をつけるものなので、これが正しいのだ。福寿草を新春の季語に据え置いている現代の歳時記の方がおかしい!
「いやいや、そんなことはないですよ。」
友人が、小さな鉢を持ってやって来た。黄色い花が、寒風の中に揺れている。鉢を11月に温室へと移し、正月に咲かせたものだという。突然の冷気に花弁が縮みあがってはいるが、人間の都合に腐ることなく謳歌する春。冬へと戻る春だといっても、仏の慈愛を秘めて花が咲く。
福寿なるあした抱いてや枯野道 (六)
*1)毛吹草(1645年)や俳諧歳時記栞草(1851年)では、ともに正月に分類している。なお、「福寿草」の初見は毛吹草だとも言われている。