桜の女神はコノハナサクヤヒメ。富士山に祀られる神でもあるから、まさに日本を象徴する存在である。皇室との関係も深く、初代神武天皇の曾祖母にあたる。
もっとも、コノハナサクヤヒメの名にある「木の花」が桜かどうかは議論のあるところで、一部には梅だという説がある。ただ、この親しみのこもった言葉を生み出した倭人(古代日本人)にとっての梅は、山野に自生している桜ほど身近であったとは考えられない。弥生時代に、中国から渡来してきたものだと考えられている。
それでも、万葉集には桜の3倍にあたる約120首の梅の和歌が掲載されている。大陸に傾倒していた時代の影響ということもあるだろうが、王仁が歌った和歌の影響も大きい。それは、「難波津にさくやこの花冬ごもり今は春べと咲くやこの花」という、仁徳天皇の即位を祝福したもので、歌の父母と称えられたもの。ここにおける「この花」は「此の花」であり、他の花に先駆けて咲く「梅」を指す。
さらには、コノハナサクヤヒメを酒解子神として祀る梅宮大社の影響もあり、京都ではコノハナに梅をイメージすることがあたりまえになったのかもしれない。しかし梅宮大社の「梅」は、埋立地を表す地名から来たものだと言われている。
木の花はやはり桜である。「さくら」は、田の神(さ)が鎮座する場所(くら)を意味し、本来は「花」を指すものではなく、御神木のことであった。田の神とはもちろん、コノハナサクヤヒメ。別名に神吾田津姫(かむあたつひめ)とあり、「神である我が田圃の姫」という意味になる。桜が咲くということは、コノハナサクヤヒメが啓示に降り立つことであり、人々はそれを待って稲作を開始した。
見上げる桜はヤマザクラ。ソメイヨシノにいくらか遅れる開花は、カレンダーのない人々に種蒔き時の到来を知らせた。古代人は、開花宣言を待つ現代人のようにまた、蕾を見つめながら気を揉んでいたに違いない。
大地を彩る桜花。ひとはそこに宇宙とのつながりを感じ取り、その意味を考える過程で「神」を見た。
語り継がれてきた女神の存在。受け継がれていく女神の恵み。人々はいまも、神話の中に生き続けている…
桜咲く 雨のやさしき夕ぐれに (六)