何かと騒がしい今日、鬼は新春を迎えても居座っている。人々は、鬼を払わぬままに神を迎えて、厳寒の中に人と神と鬼との共同生活をおくる。
旧暦の昔、節分は暮れにあたり、豆まきは大晦日の行事であった。神を迎えるために身辺を整え、最後に鬼を追放した。その行事は宮中で「追儺」と呼ばれ、平安時代には弓矢を用いて鬼を払ったという。
現在では「魔滅」に掛けて、鬼に対して豆を浴びせる。
酒場で友人が、父親の話をしてくれた。父母は年少時に別れて、「鬼のような人」という母親の言葉のみが、父親のその輪郭を形成していたのだと。
彼も子供を持って節分を迎え、その日はじめて鬼の面を被った…
残業が多くてなかなか家族サービスができない中、帰りの駅の売店に福豆を見つけた彼。妻の制止を振り切り、寝入っていた子供を揺すり起こして豆を握らせた。
反省の気持ちがそうさせた―――と、彼は言う。子供の健全な成長を願って、母から聞かされていた父親に自らを擬したものだと。生きていくためだとは言え、家族を泣かせる自分のような大人になってほしくはない。だから、面の奥で子供を散々罵倒したとも言う。
節分は、子供の涙と妻の悲鳴が入り混じる、壮絶な光景を生み出したという。それでも「鬼の記憶」を植え付けることで、自分とは違う道を歩んでくれるものだと信じた。彼は、懸命に鬼を演じ続けた…
離婚して三年。今でも子供と連絡はしていると言うが、「メールで年に一、二度かな」と笑う。寂しそうな視線を目の前の酒へと移して、やがて、溜息混じりにこう言った。
「ほんとうは、自らの心の中に巣食う鬼を追い出して欲しかったのかもしれないな…」
鬼とよぶ父の背中や遠い春 (六)