俳家の酒

其の三「餘波」

 この穢土に生きるということは、苦しみを味わうこと。苦しみは天罰などではなく、喜怒哀楽の種である。同じ景色を見てさえも、感情一つでその色は万化する。出来得るものなら、常に喜びの花を咲かせたいものだが。
 芭蕉は苦行者である。社会の底辺に身を委ね、宇宙を言葉に置き換えてきた。それは、苦しみを「句」にすることで、神の姿なる「美」を、人のものなる「喜怒哀楽」で照らし出す試み。つまり、世の不明を言葉で補い、神を見つめようとすることなのだ。
 もっとも、それでさえも宇宙は測れぬ。個人の立場から伺える宇宙は真理の一面に過ぎず、そこで発せられた詩句など、やがて時空の狭間に消えていく。
 消えゆくことを知りつつも、芭蕉は句作に専念し、「不易流行」を掲げた。果たしてそれは、苦界の歩き方を示すものとでも言えばよいのか・・・

 「不易流行」とは、変化しない本質を理解した上で、新風を取り入れながら転がり続けていくこと。去来抄には「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新た成らず」とある。
 句とは、ひとつなる存在を、有限の視点で切り取ること。明らかならざる全体像を、その時々の立ち位置から推し量ることに等しい。同じ場所に突っ立っているだけでは、偏見の中に帰結する。だから新たなものを見つめながら、真理に近づいていくのだ。

 男は溜息をついたあと、最後の一滴で唇を潤し、

 限りなき空や流るる星の墓

と歌いながら勘定を済ませた。誰の句かと尋ねると、
「知らん」
と笑いながら、扉を開けて出て行った。
 突然静寂が訪れ、大将もコップ酒に口をつけた。何か爽やかな疲労感が残り、それをなだめるために黒龍を注文してみる。大将はしばらく黙り込んでいたが、
「今夜はこれを開けてみるか」
と言って、冷蔵庫の奥から引っ張り出した「餘波(なごり)」と書かれた酒を振舞ってくれた。

 黒龍酒造の醸し出す餘波はどこかやさしく、どこか苦みを感じる酒。二合も入らぬ瓶に詰められていたのに、空にした時には、大将も僕もかなり酔った。
「あの人はいつもあんな感じで?」
 知らぬ顔を装った大将が、暖簾を下ろしはじめた。その背中は拒絶しているように見えて、もっと尋ねて欲しいと言っているようでもあった。僕は終電を確認し、空席になったままの隣席に目をやった。
「俳諧師とでも呼べばいいのかな。」
 大将がようやく呟く。
「奴を知りたければまたおいで。」
 赤提灯の燈が消えた。

 ⇒⇒⇒ 其の四「獺祭」へ続く

監修:Rockets

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